横須賀市ホームページ制作
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横須賀市の豆知識
横須賀市(よこすかし)は、神奈川県南東部の三浦半島に位置する都市である。東京湾と相模湾に面する国際港湾都市。中核市に指定されている。神奈川県南東部に位置する三浦半島の大部分を占め、市域の東側は東京湾(浦賀水道)、西側は相模湾に面する。日本最古の洋式灯台である観音埼灯台が建立される。また東京湾唯一の自然島である猿島も行政区域に含まれる。観光船で行く事もできる。
走水は「古事記」や「日本書紀」にも出てくる地名で,古くは馳水とも書き,足柄峠を越えて相模の国に入った古代東海道は,鎌倉を経て走水に至り,ここから海路をたどって上総の国へ通じていた。走水神社はそのゆかりの地にある。110年に景行天皇の御代,東征中の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は,同行してきた弟橘媛(オトタチバナヒメ)と古代東海道を辿って走水から船で上総へ渡ろうとした。
大楠山は標高242mで三浦半島の最高峰である。展望台に登ると、東京湾及び相模湾を一望でき、千葉県及び太平洋を望める為、ハイキング客が1年を通して全国から集まる。ハイキングコースが充実していて、登山時と下山時でコースを変えて楽しむ観光客も多い。それほど標高が高い山はないが、中央部は山間部や丘陵部(三浦丘陵)が中心で、平地は少ない。そのため古くから海岸線の埋め立てが行われており、現在の中心市街地もかなりの部分が埋立地にある。また、海岸沿いまで山が迫る地形のためトンネルが多いのも特徴で、神奈川県にある道路・鉄道トンネルのおよそ半数が市内に集中している。
政治・経済的都市機能が集中する東京湾岸には大工場や住宅群がひしめきあうが、相模湾岸には自然が多く残され、農業も盛んである。市内中心部から東京都心までは京急本線で約50分、JR横須賀線で約1時間20分。また横浜横須賀道路など地域高規格道路が整備されており、車では羽田空港まで約40分、都心へは1時間程度となっている。
鎌倉時代にはすでに漁港として、長井漁港から鎌倉に魚介類を供給しだした。今日でも横須賀市最大の漁港である長井漁港では、イワシ・サバ・ワカメをはじめ多くの魚介類が水揚げされる。漁師のおかみさん(長井漁協女性部)が地魚を中心に店頭販売しています。新鮮で豊富な魚介が市場の3分の1程度で買える。 ヒラメの稚魚が放流された鴨居は、観音崎近くにある知る人ぞ知る港です。魚屋直営の『鴨鶴』もあって、観音崎ハイクの際に立ち寄るにも絶好。佐島漁港(イワシ・アジ・ワカメ)、秋谷漁港(シラス・ワカメ)、景観抜群の久留和漁港(タコ・ワカメ)、北下浦漁港(イワシ・ワカメ)などの漁港があり、イワシやサバが主に水揚げされています。横須賀市の漁獲量は、横須賀市農林水産課によると、約1万トンで県内第3位ですが、沿岸漁業では、県内最大の漁獲量を誇っている。
江戸時代、第12代将軍徳川家慶がペリー一行の上陸を許し開港に結びついた。老中首座阿部正弘は、嘉永6月6日(1853年7月11日)に国書を受け取るぐらいは仕方ないだろうとの結論に至ったため、嘉永6年6月9日(1853年7月14日)にペリー一行の久里浜上陸を許し、下曽根信敦率いる部隊の警備の下、浦賀奉行の戸田氏栄・井戸弘道がペリーと会見した。
ペリーが降り立った東京湾の入口に位置するため江戸時代から国防の拠点とされ、大日本帝国海軍横須賀基地を擁す軍港都市として栄えた。現在もアメリカ海軍第7艦隊横須賀海軍施設および海上自衛隊自衛艦隊・横須賀地方隊の基地が置かれている。
全国有数の研究機関があり、1853年(嘉永6年)のペリー来航の際、徳川幕府は浦賀造船所を設置。浦賀船渠にドック建設を発案。1922年(大正11年)に国内初の旅客兼車両渡船(鉄道連絡船)として青函連絡船「翔鳳丸」「飛鸞丸」を竣工。1980年代には大ブームとなったVHSビデオデッキを開発した。1990年代には、電気信号をケーブルや電波を使って、経済的に送る方法の研究。ガラスを素材にしたケーブルを用いる光ファイバー通信、海底ケーブルや人工衛星を用いる通信、自動車電話などの研究。携帯電話のバイブを開発した。2000年代には電気自動車(EV)を生産し、EVの主力工場となることが見込まれている。
人口は横浜市・川崎市・相模原市に次ぎ神奈川県第4位となっており(1977年11月以降)、県下では横浜市に次いで2番目に市制を施行した。また横須賀市が県の政令市(保健所・水道事業等は中核市指定前から独自に行っている)ということもあり県から見ればトップ3の一角であったが、2010年に相模原市が人口増と市町村合併で政令指定都市へ移行したこと、また藤沢市(保健所政令市)の人口急増に伴い、横須賀市は県内人口第5位に転落することがほぼ確実なことから、この情勢は変化している。
基幹産業が重厚長大産業であることや、地形が山がちという地理的要因から今後大きな人口増加は望めないため、「国際海の手文化都市」をスローガンに「交流人口」(仕事やレジャーでの流入人口)の増加、そして「また来てもらえる街」をめざしている。施策として横須賀リサーチパーク (YRP) 開設や高等教育機関(神奈川県立保健福祉大学、陽光小学校跡地への福祉系4年制大学)の誘致、海軍カレー、ヨコスカネイビーバーガー(ご当地バーガー)による街興し、ヴェルニー公園(1万メートルプロムナード計画の起点)、くりはま花の国、長井海の手公園 ソレイユの丘、横須賀美術館等観光施設の整備などが積極的に行われている。
以前「平成の大合併」を機に三浦市から合併を打診されたが、政令指定都市に移行できる見込みも無く、特段の利点が無いということで幹部レベルで断っている。もし三浦半島4市1町(横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、葉山町)で合併すれば政令指定都市への移行が見込める人口75万規模の自治体になるが、各市町に強いプライドがあり(逗子市は逗子町時代に横須賀市に合併されたが、戦後すぐに離脱した過去がある)、合併を推進していた小林一也三浦市長が1期限りで落選したこともあり、現在周辺との合併の計画は今のところはない。また、三浦半島地域は共通の問題として高い高齢化率、ゴミ処理の共通化などがあって、広域行政施策を展開したいところだが、ゴミ処理の共通化では三浦市と進めていた協議会から葉山町が脱退(三浦市と協定を結ぶと同時に葉山町を告訴)するなど、各市町のプライドの問題があり、一枚岩とはなっていない。
また、基幹産業が景気に左右されやすい重厚長大産業であることが災いして、市民の所得水準が県内では三浦市についで低く(ただし、他都道府県の市町村と比べれば高めの方ではある)、多くの人口を抱えながら市民税の収入が県内でワースト3であり、市の財政は市債と地方交付税に頼らざるを得ない。また過去の市長がいわゆる「ハコモノ行政」を行ったことで市債償還が財政を圧迫しており、市の財政は非常に苦しいものとなっている。ただし、年間数千人単位の人口減にもかかわらず市税収入はYRP効果で法人市民税が増加し、上昇傾向にある。
参考Wikipedia>>
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